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英語不要論を大歓迎する文

英語を習得しようと頑張る方が多くいる一方で「英語なんか必要ない」という意見もよく耳にします。

実は僕はそんな英語不要論を大いに歓迎していて、むしろもっとそういう流れが起こってほしいと思っています。

英語を学習するためのウェブサイトを運営している僕がなぜそんなふうに考えるのでしょうか。僕の考えを少し書いてみたいと思います。

英語ができれば人生の選択肢が広がる

英語ができるということは、人生の選択肢を大きく広げることに直結します。

これは企業での仕事においては特に顕著で、外資系企業に就職する場合は英語がほぼ必須となります。

英語ができなくても外資系企業に入ることはできるかもしれませんが、そういう企業はすでに日本に根を下ろし切った組織で、企業文化や勤務体系、報酬体系などもすでに日本企業化していることが多いです。

もちろん、外資系なんかに行かなくても仕事はいくらでもあります。

しかし日本企業に勤めていても、今後はますます海外への進出、海外企業との提携などが増えてくるでしょう。

会社で働くなくとも、これからは海外や外国人を意識した仕事が増えてくると思っています。

仕事だけでなく人との出会いもそうです。

英語ができないということは、そうした選択肢を初めから放棄しているのと同じ意味です。

趣味の分野で何かを調べたりするときでも、やはり英語の情報にもアクセスできると世界は大きく広がります。

別に英語や西洋が優れているとかいうわけではなく、単純にウェブサイトの数や情報の量が、日本語の情報よりも圧倒的に多いためです。

俳句とかパチンコとか、日本語コンテンツがもっとも多いであろうジャンルもあるとは思いますが、スポーツやゲーム、エンターテインメントなどの多くの分野では世界共通言語の英語での情報量がもっとも多いと思います。

別になくても困らない

しかし英語といえど、世の中に数あるスキルの中の一つに過ぎないので、別にできないからといって困ることもないでしょう。

例えばですが、僕はピアノが弾けません。ピアニストやピアノ愛好家の方は

「ピアノは絶対やった方がいい」

「ピアノができれば人生はホントに豊かになるのに」

「ピアノがない人生なんて…」

とおっしゃるかもしれません。しかし僕はこれまで、ピアノに触れることも興味を抱くこともないまま人生の大半を過ごしてきたため、ピアノがないことで被る不利を感じることはありません。

英語に関してもこれと同じことが言えます。興味がない以上、それができることのメリットを想像することもないかもしれません。

ですがこのページを閲覧してくださる方は、心のどこかで英語の必要性、または英語ができないことによる不都合、英語ができた場合のプラスの変化を心のどこかで認めているのだと思います。

英語ができないとさすがにマズイ

あの人は英語が話せてカッコイイ

外国人と英語でやりとりしている自分を想像したらワクワクしてきた

きっかけはなんであれ、そういう心の奥から起こる衝動が原動力となり継続へと導くのだと思います。

理由はなんであれ、「英語を使って何かしたい」という思ったことがあるのであれば、その心の声を信じて、ぶれることなく英語の学習を継続するのが最善だと思います。

簡単でないのは当然

もちろん、外国語の習得は容易ではありません。

僕自身も学生時代に学校で英語を教わり、仕事で15年以上英語を使い続け、アメリカやイギリスにも長期的に滞在した経験がありますが、それでも口が裂けても「英語がマスターした」とはいえません。

語学学習は生涯続くプロセスだと思います。

最初にいくつかのハードルを越えれば、あとは学習が習慣化し、特に苦痛を感じることもなく徐々に実力を高めることができます。僕はこの歳になっても、わずかずつではありますが英語力を改善しているんだと思っています。

ダイエットと同じで、

「ここまできたらもうやめていい」

というものではなく、習慣的なものだと思っています。

「継続は力なり」

という使い古されたことわざがありますが、歳を重ねるにつれて、「継続は力なり」の重みを感じています

日々の継続が一年後、数年後に自分でも信じられないほどの大きな差となって表れてくるのだと思います。

ライバルは少ない方がいい

これは少し打算的な話ですが、英語なんてできなくていいという人が多ければ多いほど、その分英語ができる人は相対的に優位に立てます。

日本は英語ができなくても高等教育を受けられる世界でも数少ない素晴らしい国

なんてレトリックを聞いたことがあるかもしれません。しかしこれも

誰かが外国語の情報を日本語に翻訳をしてくれたからこそです。

英語ができれば、知識を日本語に輸入する「誰か」になる機会だってありますし、英語の情報に直接アクセスできればはるかに効率的になると思います。

特に変化の速度が早い現代においては、「誰か」が日本語に直してくれるのを待っている時間ももったいないですし、ネットの発達によって情報量が多すぎて、誰も日本語に直してくれない情報だってたくさん出てきます。「誰か」に情報を訳してもらおうと思えば、お金も時間もかかります。

AIに仕事を奪われる

ということも最近はよく言われますが、AIだって人間が作るものなので、極端な話、それを作る側に回れば仕事は奪われないと思います。

一度覚えたら忘れない

かくいう僕自身も、最近は仕事で英語を使う以外は英語を使う機会もほとんどなく、今の仕事をしていなければ英語ができなくても特に困ることもありません。

しかし英語のいいところは、車の運転などと同様、一度覚えてしまえばそう簡単に忘れることはないということです。

しばらく使わなければ多少錆び付くかもしれませんが、すぐに思い出すと思います。

個人的にはまったく望んでいませんが、将来再び英語圏の国に住むような機会がないともいえません。

しかし前述の通り、語学の習得にはそれなりの時間がかかります。また個人的に思うのは、若い頃の方がまだ向上心もあり、スムーズに吸収をできた気がします。

僕は30代をすぎてからタイにしばらく住みましたが、何年も住んだのにいまだに幼児レベルの言葉しか話せません。

これは年齢だけのせいではなく、僕自身がタイ語を真面目に習得しようと思っていなかったことも関係ありますが、心のどこかであきらめていた部分があったと思います。

しかし英語に関しては、わりと早い段階で必要性を認めて「離陸」することができたので、あとは習慣的に独学できるようになりましたが、タイ語に関しては離陸すらできませんでした。

もしも、日タイを股にかけた仕事があり、それを奪い合うような状況があったとするならば、僕は最初の段階から脱落していたわけです。別に目に見える誰かと争っていたわけではありませんが、僕のような脱落者のおかげで低い競争率でいい仕事に就けたという人もいるかもしれません。

これと同じことが英語でも起こっているので、僕は英語不要論が盛んになり、学習者が減り、相対的に自分が優位になればいいと思っています。

そして、「英語を習得する!」と決めた方とは切磋琢磨したいと思っています。

レベルの低い思考かもしれませんが、短い人生を快適に過ごすにはこういう思考でもいいのかなと思ったりします(笑)

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