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海外でホームシックになった話

ホームシックは誰もが通る道

外国に住むと避けて通れないのがホームシックです。

「ホームシックなんてかかったことないよ!」

っていう人もいますが、そういうことをいえるのはまだ海外生活が長くないか、逆に長い人だと思います。

どんな人でも、海外に住みだした頃はホームシックに苦しんだ時期はあったと思います。

人間の脳は都合よくできているもので、辛かったことも克服してしまうと記憶が薄らいでしまいます。そして今まさに苦しんでいる人の気持ちをリアルに想像できなくなります。

また、自分の弱さを知られたくない気持ちもあるので、過去の辛い体験や恥ずかしいエピソードを語らない人もいます。

ホームシックになるのはあなたが弱いからではなく、誰でも通る道なんだと思っておくといいでしょう。

僕は負けたけど

僕は20代の頃、永住するつもりでアメリカに移住したものの、ホームシックにかかり、それが原因の一つとなって結果的に帰国した過去があります。

人生のすべての選択にはプラス面とマイナス面があり、日々の小さな選択が積み重なって最終的にその人の人生や人格を作ると考えるならば、あの時帰国したことも含めて、それが自分の人生だと思っていますし、帰国後の人生に納得しているので後悔はありません。

将来海外に出たいと思っている人や、これから海外に住むという人は、「自分は大丈夫」と決めつけずに「誰だってホームシックになる」と心の準備をしておいた方がいいでしょう。

僕のホームシック体験談

アメリカ移住

僕は20代後半の頃アメリカに移住しました。移住をする前から仕事で頻繁に外国と日本を行き来していて、日本に滞在していた時間は一年の半分以下でした。

アメリカだけでなくヨーロッパやアジアにもよく行っていて、まだ尖っていた僕は

「どうせ自分は日本社会に適合できない人間なんだ」
「日本なんてこっちから払い下げだ」

なんて思っていました。

当時の自分は、他の人がなかなかできないことを実現して自分で道を切り拓いているような感覚に酔っていたのでしょう。こんな生意気な若造だったので、まさか自分が外国で一人寂しく心を病み、鬱の症状に苦しむとは夢にも思っていませんでした。

アメリカに住み始めた当初は緊張の日々でしたが、車や住む場所も調達し、銀行やお役所手続きも一通り落ち着くと、平日は職場に通い週末は遊んだり休むというサイクルが始まりました。

生活に慣れだした頃

日本では友達ゼロで孤独を好んでいた僕ですが、海外にいたときは多くの友人がいました。ここまで多くの人といつもつるんでいたのは小学生以来だと思います。当時は友人との交流も多く携帯電話はしょっちゅう鳴っていました。ちなみに帰国後の今では月に一度程度、クレジットカードや保険のセールスの電話がかかってくるくらいのものです。

遊びに誘われればあまり乗り気でなくても出かけるし、助けが必要な時には自分から人に連絡する。見知らぬ土地で暮らす上で人付き合いが必要だったのだと思います。

一見すると充実した生活に聞こえますが、しばらくして「生活に慣れてきたな」と感じたあたりから、人付き合いが億劫になり、生活に空虚感を感じるようになりました。

突然襲う空虚感

当時の職場は緑に囲まれた環境にありました。常にアメリカ国旗がはためいていて、見るたびに「自分はアメリカにいるんだな」と思ったものです。

当時はタバコを吸っていた僕は、休憩時間のたびに外に出てタバコを吸っていました。

あたりには広大な自然が広がります。ずらりと並んだ車、ゆっくりと流れる雲、はためくアメリカ国旗・・・時折リスが木に登ったり鹿の親子が原っぱを駆け抜けていくのが見えます。まさにアメリカ大陸と思うような風景でした。

アメリカに移住してハイテク業界で仕事を得るという素晴らしい人生かに思えたある日、突如として胸を締め付けられ、こんな疑問が頭をよぎります。

「こんな遠くまで来て自分は何をやっているんだろう」

それからは、そこで休憩するたびに同じ気持ちになってしまいます。そして徐々に空虚感や淋しさを感じる時間が増えていきます。

そして心だけでなく外面にも変化が現れます。肌が荒れ、目も虚ろになり、何をしても楽しくなく、人付き合いも面倒になり、考えることは日本に帰省する時のことばかり。

「帰省まであと50日」

なんて気の遠くなるカウントダウンをしていたこともありました。

心が滅入ると新しいものにチャレンジしてみようという気持ちもなくなり、しまいにはハロウィーンとか週末のパーティとか外国の文化的なことや人付き合いにさえ拒否反応を示します。

帰省時の幸福感…閉じこもったまま帰国を決意

そんな寂しさを紛らわすためか休暇のたびに日本に帰るようになり、リモートワークができるという仕事の性質を利用して、休暇でなくても理由をつけて頻繁に日本に帰国するようになりました。

帰省中は幸福で、食事、遊び、日本の雑踏を歩くだけでも幸せでした。しかしアメリカに帰国する時間が迫ると憂鬱になり、空港に向かっている時はもうすでに目は虚ろになっていました。

アメリカには日本人の友人もいたのですが、僕が話した限りでは彼らの中には僕と同じようなホームシックの症状の人はいませんでした。

「ジョギングが日課で、自分でコースを組み立てたり、距離や時間など目標を設定して楽しんでいる人」

「週末のテニスが楽しみ」

「仕事が充実していて楽しい」

「教会やボランティアなど地域社会の活動に貢献している人」

立派な人たちです。中にはもう数年も日本に帰省していない人もいました。

「淋しくないの?」と聞くと「別に〜。日本に帰ってもやることないし」とあっさり言います。

僕は帰省が唯一の楽しみになっていて、アメリカ生活をエンジョイする友人たちとのギャップに自分が弱くて情けない人間だと思わされ、自信を失い、最終的には日本に帰国することに決めました。

僕はアメリカの永住権を持っていて、仕事を失ったわけでも日本の家族になにかがあったわけでもないのに一番先に帰国してしまいました。

ホームシックの対策

ではホームシックにはどう対応していけばいいのでしょうか。僕はアメリカ生活は失敗しましたが、その後タイと関わるようになってすでに10年近くが経ちます。タイには一年中住んでいるわけではないからかもしれませんが、アメリカ時代と比べるとうまく対応できていると思います。その個人的な経験を踏まえ、僕にとって効果的だったと思うものを紹介します。

日本の映画やドラマを観る

今はインターネットの時代なのでこれをフル活用しない手はありません。多少の工夫は必要ですが、外国からでも日本の映画やドラマを楽しむことができます。Hulu、Amazonプライムビデオ、Netflix、Gyaoなどいろいろあります。楽しそうなドラマがあれば、休みの日は時間を忘れて一気に観るのもいいでしょう。

「日本の映画なんか見たら日本が恋しくならない?」

と心配するかもしれませんが、僕は大丈夫でした。

むしろ日本語のコンテンツならば頭も疲れませんし、物語の設定や登場人物にも自然と入っていけます。そうやって時間を忘れてリラックスして楽しめる時間がいい気分転換になったのだと思います。

余談ですが、僕はあまり恋愛ものよりはビジネスドラマが大好きでしたね。半沢直樹とか(もう古い?)は好きでしたし下町ロケットとかも楽しかったです。孤独のグルメとかいうテロ動画もありましたが、あれすら「自炊にチャレンジする」というエネルギーに変換できればいいことかもしれません。

日本の動画コンテンツは海外からの視聴制限がかかっていることが多いのですが、 VPNサービスを使えばこれをかいくぐれます。

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たまには夜遊びも

夜お酒を飲みに行ったり、たまにはハメを外すのもいいでしょう。

人それぞれ価値観も違うので一概にはオススメできませんが、ちょっとエッチな場所に行ってみるのも面白いかもしれません。

ひとたび心を病んでしまうと、ハメを外そうという心の余裕もなくしてしまうので、ストレスを溜め込む前に気休めをするといいかもしれません。

ドラッグには注意を

余計なお世話かもしれませんが、ドラッグはやめておきましょう。その国の法で認められていてもおすすめしません。もしハマって依存してしまったらホームシックよりも大きい問題になってしまうからです。

アメリカ人はマリファナが好きな人たちで、週末に人の家で飲んでたりするとごく普通に出てきて身近な誘惑となります。今では州によっては合法な場所もあります。

しかし僕は一度も手を出しませんでした。それは自分が凝り性だと知っていたからです。僕は何かにハマると他の誰よりも深いところまで突っ込んでしまう性質があり、これをドラッグとかで発揮してしまうとハードドラッグに手を出したりして帰ってこれなくなるのが怖かったからです。

自分の弱さを知っていたのでここだけは踏み止まっていました。ドラッグに関しては「もし90歳になって興味がったら暇つぶしに試してやるか」くらいに考えています。

たまにはハメを外してみる

ドラッグはダメでも、たまに酔っ払って踊ったりしてハメを外すのはいいと思います。クラブとかカラオケなんかは多くの国で楽しめますし、これは男性向けですがアメリカのストリップバーなんかはマイルドながらいかにも外国っぽい雰囲気を味わえます。

酔った勢いで誰かが「パフュームを嗅ぎに行こうぜ!」と言い出してそこへ行くという流れが多かったのですが、中に入るとステージの上で常にセクシーなダンサーたちがポールダンスみたいなのをしていて、客はビールを飲みながらそれを眺めます。

好みのダンサーがいたら、その人のダンスが終わったタイミングで声をかけると、自分の席まで来てドラゴンクエストの「ぱふぱふ」みたいなことを、BGMが一曲流れる間してくれます。それを何度かやって20ドルとかだったと思います。

「20ドルも払うのはもったいない。けどちょっと雰囲気を味わいたい」という場合は、1ドル札を手に握りしめてステージの前まで行き好みのダンサーを見つめます。すると、そのダンサーがこちらに寄って来て一瞬だけ「ぱふぱふ」のようなことをしてくれます。それでその1ドル札を渡します、というか奪っていきます。

いずれの場合もトップレスの女性がで香水の香りをプンプンさせて目の前まで迫ってくるのですが、その距離感が絶妙で、女性の体が自分に触れることは決してありません。なのに香水の香りがふわっと漂い、それが非日常な気分をもたらしてくれます。

「パフュームを嗅ぎに行く」というのは言い得て妙だなと感心したものです。

安全のボーダーラインは忘れずに

ストリップくらいならいいと思いますが、勝手を知らない異国であまりディープなところに踏み込むのはそれなりのリスクも伴うので、その辺りは十分に注意してしましょう。次の日目が覚めて「昨日は少しハメを外しちゃったな」と思える程度がちょうどいいでしょう。

趣味を作る

前から始めてみたいなと思っていた趣味とかなかったですか?どうせ自分なんかと思ってやらなかったこと、忙しいからと言って始めなかったことが。

もしそれがそこにいてもできることなら、とりあえず始めてみてはいかがでしょうか。

「奥の細道を旅したい」とかだと厳しいですが「楽器を弾けるようになりたい」くらいなら始められます。趣味に打ち込んで時間も忘れるくらい没頭できれば寂しさも紛れます。

最初は一人でも、やっていくうちに本物のレッスンを受けたくなったり、同じ趣味の人と出会ったり、自分が望む形での現地とのつながりが生まれるかもしれません。

あと実益も兼ねているのが料理でしょう。和食の選択肢が少なくクオリティが低い地域に住んでいる場合、誰かが美味しい日本食レストランをオープンしてくれるのを待つよりは、自炊を覚えてしまう方が確実で安上がりです。アジア系スーパーなどは日本の食材を置いていることもあるので、そこであるものを組み合わせて食べたいものを作るのは大きな喜びです。自信が出てきたら友人に振る舞ったり一緒に作ったりするともっと楽しくなりますし、ホームシックも紛れます。

あとゴルフなんかもオススメだと思います。僕が住んでいた場所は20ドルくらいでコースでプレーできると聞いてビックリしました。今ではどうかは分かりませんが、「ゴルフはビジネスマンの嗜み」みたいなところもあるので出世に関心がある方は将来の投資にもなります。

あとは書くのが好きな方はブログを始めたりして、いろんな立場の人とつながるのも面白いかもしれません。

海外で辛い時期こそ趣味に取り組む時間だと割り切れば楽しくなりそうですね。

そういう僕の今の趣味は「プログラミング」です。僕は仕事もコンピュータ関係なので、これを趣味といっていいかは分かりませんが、仕事とは全く関係のない完全に自分の興味の対象のプログラムを作っています。

プログラミングはネットとパソコンがあればどこでもでき、大部分は独学できるので安上がりです。孤独とも相性がいいですし、時間はあっという間に過ぎていきます。日本にいると、他にやることが多すぎてこういう趣味には没頭できなかったりするのでいい機会かもしれません。

あちこち旅行してみる

せっかく海外にいるのですから、今いる場所から足を伸ばして旅行をしてみるのもいいでしょう。

「コロラドでスキーをしてみたい」とか日本からではできなそうなことも、アメリカに住んでいれば比較的たやすく実現できます。ヨーロッパならば周遊とかもオススメですよね。

あとでいい思い出になること請け合いです。しかしこれに関しても心が病んでからでは遅いのです。僕が帰国を決心する前の病んだ時期は、どこにも行きたくないような精神状態でした。

マチュピチュとかグランドキャニオンとか、その気になれば週末だけでも行ける距離にいたのにそんな心の余裕がなかったのが残念です。心に余裕のあるうちに楽しさに触れておきましょう。

帰省する。でも頻度を上げすぎない

どうしても苦しい時、思い切って日本に帰省するのもいいでしょう。帰って母国の空気を吸い、友人と会ったりして気が晴れる場合もあります。

僕の場合、ある年に年に7回も帰省していて、それが原因か分かりませんがますます日本が恋しくなってしまったことがあります。年に7回も帰省できるということ自体、現地との繋がりがあまりなかった証拠でもありますが… 現地の会社で働いていて上司も現地にいたのですが、どこでもできてしまう仕事だったため、あれこれ理由をみつけて帰れていました。

無理に人付き合いしない

寂しいからといって無理に人とつるむ必要はないと思っています。ムリして気の合わない人と会ったり、自分の性に合わないことをしても余計に心を病んでしまいます。僕は引きこもり属性が強く、クラブとかカラオケとかは苦痛な遊びで、それなら家でゲームでもやりたいというタイプでした。

先ほど挙げたような一人でやる趣味があれば、孤独こそが自由になります。

恋人がいれば幸せかも

僕はアメリカにいた頃はずっと独身でしたが、

「もしここに恋人や家族がいればアメリカも楽しいんだろうな」

とはいつも思っていました。

これはもうその人の運次第ですが、もしそういう境遇の時に運命の人と出会えればとても幸せなことだと思います。

かと言って僕は、すでに国際結婚で失敗しているので、寂しいというだけの理由でムリしてまで恋人を作ろうと考えられませんでした。

過去のトラウマからも、外国から移住してきた女性とは絶対に付き合ってはいけないと頑なになっていました。

僕はなぜかベトナムや中国などの女性から人気で、猛アタックといってもいいくらいのプッシュを受けたこともありますがとにかく避け通しました。もったいない気もしますが仕方ないですね…

余計な心配かもしれませんが、将来僕が日本に帰りたくなった時、その女性は日本についてきてくれるだろうかという不安がありました。

僕が見た限り、アメリカに移住してきた人はたいていアメリカが好きでした。相手が日本に行きたくないといえばそこで破綻する可能性が高い関係です。相手が日本人女性ならこの問題はないと思われますが、日本人女性との出会いはありませんでした。

人によってはとりあえず付き合って一緒にいられなくなったら別れればいいと考える人もいます。どんな真摯な付き合いにだって別れはあるわけですから、それも一つの考え方だと思いますし、お互いに割り切れていればなお問題はないですしね。ただ僕は奥手で頭が固かったのでそのような考えで行動することはできませんでした。

時間が解決するのを待つ

今ホームシックの真っ最中にいる人にはあまり効果的なアドバイスではありませんが、時間が解決するというのは真理だと思っています。

日々の生活に没頭して悩みを忘れ、そして僕の経験では2年〜4年過ごすことができれば、もう悩むことすらなくなると思います。

もちろん何年外国に住もうと、日本が母国であることには変わりません。しかしある程度の期間が過ぎると外国にいる自分を自然と受け入れ、今ある環境の中で楽しむことを探せるようになると思います。

ムリは禁物

そして最後のアドバイスは、本当はこんなアドバイスをするべきではないのかもしれませんが「たかが外国生活、ムリしてまでしがみつく必要はないよ」というものです。

海外に来る前にどんな目標があったにせよ、心を病んでしまってまで無理を押し通す理由などありません。心は正直なもので、あなたが好きでないことを知っていて、そのサインを必死になって伝えようとします。脱毛症や肌荒れなどはそういったサインの一つだと思います。

僕はアメリカにいたときは脱毛症はなかったですが、最初の結婚生活では円形脱毛ができました。そしてアメリカにいた時期はかなり肌が荒れていました。下あごにあたりにいつも発疹みたいなのができていました。まだ若かったので性的なフラストレーションだったのかもしれませんが、これも脳からのSOSだったのかもしれません。

どのように生きようとも自分の人生は一回だけです。自分を受け入れて楽しく生きましょう。他人の目や評価を気にして忍耐を続けても何も残らないと思います。

きっと帰った後には楽しいことが待っています。僕はアメリカの永住権も放棄しましたが「またアメリカに縁があれば呼ばれるだろ」くらいのあっさりした気持ちでした。縁がなければ呼ばれないし、それはそれで全然構わないと思っています。それに帰国してからの人生の方が、自分のことをより受け入れていて以前よりも幸せというか心が軽くなったと自信を持って言えます (^_^)

なぜ外国に来たのか整理してみよう

「ホームシックになったらムリせず帰国しよう」ではアドバイスになっていないので、もう一点お伝えさせてください。

定期的に、自分がどういう目的を持って外国に来たのかを思い出してみましょう。今だからこそ分かるのですが、僕はこの部分を疎かにしていました。

わざわざ日本を捨てて外国まで移住する人間だから、相当な野心家だろうと他人から思われることもありますが、僕はただその時々の流れに乗っかっただけで、気づいた時にはアメリカに移住する流れになっていただけでした。

もちろん心の奥には「外国に住みたい」という願望がありました。10代の頃から理由もわからずに海外に住みたいというぼんやりとした憧れで、いわば「中2病」みたいなものですがずっと心の片隅にあったようです。

ですが最後まで「○○をするために○○の国に住みたい」という強い目的意識を持てなかったのです。

僕は大学時代、なんとなくバイトをしてなんとなく学校にいく平均的な学生でした。その頃のバイト先の一つが映画館で、そこはなぜかお坊ちゃんやお嬢様が集まる場所だったのです。どうしてかは分かりませんが、本当にボンボンばかりでした。

  • 親が旧財閥のお偉いさんで、苗字もそのまんま財閥名
  • 親が大蔵省のキャリア官僚
  • 親がプロスポーツ選手

アルバイトの大学生はこんな人たちばかりでした。友達を探したい、思い出づくり、社会経験をしたい、そんな動機だったと思います。

こういったご子息がたは、留学とか短期語学研修とかで海外に行ったことのある人の割合がとても高かったのです。たまに外国人の客が来るのですが、海外経験のある彼らが英語でペラペラ応対しているのをみて「こいつらすげえな」と思ったものです。

そして3年後…僕が大学を終えて働いたのは外国企業でした。すると今度は日米ハーフや帰国子女、日本に留学したアメリカ人といったバイリンガルの猛者がゴロゴロと出てきます。

こういう人たちを見るようになり、それまで外国に住んだ経験も留学した経験もない自分は、学生時代のことも思い出しコンプレックスとなっていきました。

かといって学生時代を適当に過ごしていた僕に今から外国に留学する時間もお金もありません。そんなコンプレックスからか「いつかは外国に住んでみたい。どうせなら外国で働いてやる。それができれば自分の能力を証明したことになるし、他の人達と並んだ気になれる」と考えるようになったのです。

数年後、僕はその目標を達成することができました。そのことに僕は今でも満足していますし達成感のようなものもあります。

しかしこの動機が間違いの元だったようです。

「アメリカでしかできないこれをやるためにアメリカに行く」のではなく、「アメリカに住んで、自分の力でお金を稼げることを証明をする」ということをゴールに設定したのがダメだったようです。

自惚れるわけではありませんが、社会で何年か働いた経験を活かすことで、そのゴールは比較的たやすく達成することができました。

しかし統計を見れば、毎年何百万もの移民がアメリカに移住して生活しているのです。自分の周りにも外国から移住してきてアメリカで働いている人がたくさんいます。自分はその中の一人にすぎません。

そしてその「目標」を達成した後、僕はアメリカでやりたいことは残っていなかったのです。外国に住んで働いていると日本の人に話せば、みんな「すごいね」とか「カッコイイ、羨ましい」といってくれます。

そういわれて悪い気はしませんが、いくら他の人に褒められても自分自身の心は誤魔化せません。最終的に僕は何をしたいかわからなくなり、迷走をした末に帰国しました。

留学ならば学業、海外赴任ならば仕事のためと目的が分かりやすいし期限も明確にあるのでいいですが、そうでない場合は目的を具体的かつ大きく持った方がいいと思います。

今回は個人的な失敗談ばかりですが、こんな経験がもしも誰かの役に立てばと思い書き記しました。こんな長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。皆様の幸福と充実した生活を心から祈っています!

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